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近代・現代・未来

 1945(昭和20)年に敗戦国となった日本は、焦土と貧困からの復興を目指して、1950年代から80年代にかけて「高度経済成長」という名の坂道を駆け上がり、 1968(昭和43)年に当時の西ドイツを抜いてアメリカに次ぐ世界2位の経済大国となりましたが、 2010(平成22)年には「世界の工場」として急成長した中国に抜かれて3位に後退します。

 この時代の隆盛と衰退に呼応するように、日本の人口は増え続け、1967(昭和42)年には1億人を突破、2008(平成20)年には1億2,808万人 とピークに達しましたが、 その後は一転して人口減少社会へ突入し、日本の人口は急勾配の下り坂を降りていくことになります。

 戦後80年にあたる2025年。ひたすらに未来の高度経済成長を追い求めた日本は、「気候変動」という名の人類史上最悪の公害を前にして、逃げ場を失ってうろたえているように見えます。

 「気候変動」は、人類の行過ぎた経済活動がもたらした弊害とわれます。今から29年前の1997年「京都議定書」が締結された時点において、 一部の科学者から警告されていた気候変動の弊害に有効な対策を講じなかったツケがまわってきたというのが現在の見方です。

 今日の「気候変動」から学ぶものがあるとすれば、2010年に経済成長と人口増加のピークを越えた時点で、 少子化を踏まえた将来の社会展望を「急成長」の時代から「ゆるやかな熟成」の時代に軟着陸する方向へ政策を転換する時機を逸した政治判断だったと思います。

 バブル経済が崩壊して、成長には限界があることを思い知らされたにもかかわらず、経済成長の幻影を追求した結果、「失われた10年」「失われた20年」という空白に悩まされ、 経済格差、教育格差が広がり、就職氷河期の時代が続いたこともあり、一層の少子化を招く悪循環になりました。
 「失われた20年」の間に、気候変動に具体的対策を示す努力をしていたならば、今日の破局的気候変動は回避できたのではないか、と悔やまれます。

 私の仕事は、快適な暮らしをデザインすること。気候変動の時代にあって、明るい未来のために私にできることは何か、を考える日が続きます。

2026年2月7日